原始鱈魚(げんし たらうお)のブログ

Bossa Nova・Samba MPB をギターで伴奏して一人で歌いたい人のブログです。

Desde Que o Samba é Samba 続き

春なので、Desde que o samba é samba  (サンバがサンバであるからには)カエターノ・ヴェローゾの曲の練習を続けよう。
男性の方がギター(ヴィオラン)一本で伴奏して歌うには2つの方法があると思う。
一つはカエターノ・ヴェローゾのライブの動画に観えるように、あっさりと伴奏、歌も観客にもご一緒を求めるような平易なもの。ちなみに作ったご本人である。
もう一つはジョアン・ジルベルトの弾くそれで、最初聞いた時に彼が何をしてるか、よく分からなかった。ジョアンの2000年のアルバム、JOAO VOZ E VIOLAO声とギターの一曲目なのだがこの録音のコード進行は前述のVerve Nakajimaさんが編纂したジョアンのコード譜2巻本に収録されている。購入しといて良かった、まさか使うとは、と思ったけど。ジョアン自身が何回もコード、リズムを入れ替えてのあの時点での推敲なのであろう、落語のその時のお気に入り演出のように、時間を経るとまた変節する類いのものだろう。
 
コードを鳴らしてみると、ジョアンのトライは斬新で色彩の波を指先から放つがごとくで聴いていて飽きないのである。不思議な感じのコード進行も絵画の中のある種のタッチの燻んだ色、濁った色が巻物(スク-ロール)上に配置されて行きその先に解放と安堵があるようでコクが深い楽曲に仕上がるのである。ご同好の方達がジョアンのように低く歌い、コードをリズムをそっくりそのままトレースし、追体験と言おうか、静かにうねるジュットコ-スターを伏目気味に熱愛するとかがネット動画を探してみると多人数おられそれが絶えないのが解った。
 
しばらく追います。そこには彼のエッセンスがあると思います。同じキーとか同じようには歌わないけど、手さばきを習って、花咲か爺にはなってみたいです。
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2017年初夏になっての追記
 
ジョァンのようにコードを万華してみようとしたのですが、歌は引きずられてします。
やってて解かったのですが、彼は耳がとてもいい。耳がよくって音程のピッチが絶対的によく揺るがない。
歌がぶれないので伴奏をいくらでも変化させれるので新しい振り付けで彼は演奏しても、練習しても飽きないのだと思う。
 
今回は撤退。いい曲なので、曲を素直に歌う所で伴奏コードは平易、余裕のあるところだけ変化のアイデアの一部を採用、カエターノ・ヴェローゾみたいに歌いたい。
2017年秋の追記
ジョァンのファンの人がyoutubeなどで彼のギタ-と歌のトレ-スをするのを見るけど、あれってキ-もおなじなのかしらん。見た目若い人が低いキ-で歌うのを見ると声は少し張ればいいのにと思っちゃう。たぶんキ-を変えるとギターコ-ドのポジションも変わりジョアンの選択で無くなるのでしないのかしらん。でもさ、ジョアン自身若い時のキーと歳を重ねた時のキーって違うし、彼自身その時々の声帯に合ったテンション(張力)の調で歌うのでしょう。ゆるい張ってない弦のようなキーで歌うのって変だと思います。ボサノバの歌って、恋人を呼ぶ、話する声の高さ、声の大きさだと思うけど、ボソボソ言ってちゃ聞こえないよきっと。
(小さな声で)自分のスタイルにアレンジして適当に歌えばいいのに、と思っちゃう。お許しを。