Tarde em Itapuã イタプアンの午後 を歌おう。
イタプアンの海岸は行ったことがなく、 Google Earth でしか浜辺を辿れないのだが歌ってみよう。
バーイア州のサルバドールにある海岸そうだけど、いつもお世話になってるあちらこちらのブラジルに詳しい日本語サイトの解説を読んで、WIKも読んでいろいろ考えた。
Tarde em Itapuãの歌詞を書いたベネシウスの誕生年は1913年だから、トッキ―ニョの作曲のこの歌の成立が1971年だから、この時点で58歳ぐらいになってしまう。ベネシウスは彼女とここで暮らすために海岸の近くに家を建てて2年間居たそうだから、その時の作詞で、50代後半の年老いた老人が(自嘲的に自身のことだろうと思うけど)昼から海岸とか町を水着でうろうろして、海水にも浸かり,浜辺で寝そべるだろうけど、夜になると酒場で喋って歌でも唄って今日はおしまいになって、それが毎日続くのだろう。
ベネシウスは66才で亡くなるけれども、何回目の結婚、何人目の彼女かもしれないけれども、(後日、ブラジル関係の本を読んだ方の話によると、7人目の奥さんになる人で、ベネシウスより、26歳年下の彼女)1970年にこれはまぁ、お元気でとしか言えなけれども。
1970年の60才と2020年の60才は、摂食、医療環境も異るし、見た目を含め本人が感じる肉体的な、「まだ大丈夫」の手ごたえが違う思うけど。
ふと、老人に近いおじさまがじたばたする例として、日本で考えると 谷崎潤一郎が『瘋癲老人日記』を連載していたのが1961年から1962年。
谷崎は、1886年の生れだから、当時75才くらいかしら。
ベネシウスがイタプアンに居た同じ年齢の頃、58歳の谷崎は1944年熱海に疎開して、軍部に隠れて「細雪」を書いていた。戦時中だから、海水浴をしたかは不明。水着を着てたかも不明。
とばかな事を考えていると、今日も暮れてしまう。 近くのバーに行こう。
あっと、Tarde em Itapuã の楽譜も作りかけだし、この話というかこの曲は続きます。