原始鱈魚(げんし たらうお)のブログ

Bossa Nova・Samba MPB をギターで伴奏して一人で歌いたい人のブログです。

三月の水 Águas de Março

三月の水 Águas de Março というアントニオ・カルロス・ジョビンの曲がある。これは歌ってみたい曲だが、私の感覚的な距離感、恒星の周回軌道を廻る惑星で例えるとでもっとも遠いところにある感じあり、あそこまでいけるのかしらん?と最初思っていました。
この歌詞と言おうか詩を覚えて、ギタ-がひけるようになって、念仏のように唱えればできるかもしれないけれども、僕には曲ひとつひとつに、こんな風に歌いたいという理想形がある。
三月の水の歌詞が詠じられる時に頁の行の言葉に光が当たるように歌詞が輝かなければならない。
詩の朗読をライブ会場で聴くときのなんとも言えない高揚が要素として欲しい。
名詞の羅列でも言葉は光るのだろうか?とも思ったが、
ボリスヴィアンBoris Paul Vian)の言ったとかされる有名な「エディット・ピアフなら、たとえ電話帳を歌っても、人を感動させることができるだろう」という寓話もあるように、この三月の水の歌詞も歌う人の唇から発せられる音色によって輝くのだろう。
この曲を訳して歌った橋本一子さんの訳された歌詞の一節というかこの歌詞の頂点にも思える「永遠が見える坂の途中」が僕はとても好きなのだが、彼女が歌うとき歌詞は(聴く人とかに拠って時どきかもしれないけれども)光るのである。
僕や、あなたが歌う時にこの歌詞は輝くのだろうか?
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