原始鱈魚(げんし たらうお)のブログ

Bossa Nova・Samba MPB をギターで伴奏して一人で歌いたい人のブログです。

楽器はどろろ


へンデルとかバッハ時代の作品の室内楽の紹介音楽会みたいなのを、最近聴きに行ったのだが、伴奏はチェンバロと室内弦楽でした。声楽の人(ソプラノ)はたぶん現代の発声法なのかしらん。ホ-ルに綺麗に響いていました。

伴奏は現代のバイオリンとチェロ、ビオラコントラバス、それとチェンバロです。
この編成ならチェンバロはかき消されてしまいます。
聞いていてチェンバロだけ雰囲気が仲間はずれなのね。歌い手を含め弦は現代のものですもの。

このコンサ-トの中で、バロック音楽の研究者の方が、バロック時代の有名作者の失われた曲を発見して世に発表された名曲というのを演奏したのだけれども、実はそれは発表した研究者が有名作曲家の作風を模したもので、作ったのだけれども、あまりに良くできたのでそうしちゃった、但しみんな廻りの人は知っていますという説明でした。
これを聞いたけれども、バロック時代の曲と雰囲気が違い違和感があるのね、旋律が動く時、作者の、僕達聴衆の気持ちも動くのだけれども、気持ちの動かし方の速度が現代風なのです(正解を知ってからのズルですけども)。

チェンバロを弾いてた時代の人の気持ちの動かし方は現代人と少し違うと思う。

チェンバロと同じように弦族も、作品の出来た当時はきっとそれぞれプロトタイプ(僕のハンドルと同じだ)で、5弦のフレットのあるチェロ族始祖で同時に何弦も鳴らせるものとか、バロック・ヴァイオリンかな。前に古楽の演奏会で聞いたけど、演奏する人の気持ちも影響を受けてゆっくり動くのかしら。

また以前に、つのだたかしさんのリュ-ト(ウクレレくらいの音量)と古楽のソプラノさんのDuoを聞いたけど、まったく室内楽でサロンのようなところでチェンバロと合う声量でゆっくり歌う(はじめて聞くとあれっと思う)のね。

私は、このジャンルは全く門外漢で適当に感想を述べるのだけど、僕達ボサノバを好む人達の許容音量(声量、伴奏音)はこのジャンルに准ずるのかしらん。気持ちの動かし方の速度は違うと思うけれども。吟遊詩人なんか歌うところの曲の雰囲気も僕は好きさ。

使われる楽器だけども、楽器というものは手塚治虫の作品「どろろ」の登場人物、室町時代の医師の寿海によって作られた百鬼丸の柔からいパ-ツで造られた木偶の坊,アンドロイドようなものだ、と僕は十代の頃から思っていました。
ボディの木(木材)をくり抜いて動物の皮を張り、鼈甲の撥でたたく。木(木材)を張り組み合わせ象牙のエンドピ-ス、貝殻の装飾、塗装にしても樹液や樹脂と鉱物由来の有機溶剤を合わせ、羊の腸の弦を馬のしっぽの毛に松脂(ロジン)をぬってこするに至っては、なんとかの極みに近く想像力逞しくない小学生の半ズボンを履いた原始の私にとってもおそるべき産物でありました。
工業品、食材の副産物のあらゆる組み合わせを試して合体させたものだが、それぞれのプロトタイプの楽器は音量が小さく、優しく、なつかしく、すこしぎくしゃくしてカタカタと鳴る玩具のような音がするね。

楽器も映画「ターミネーター」のバロック・ヴァイオリンのような何か郷愁、愛着さえ感じるT-800から、液体金属仕様のT-3000みたいに進化し、有機物のパーツは金属、化学製品に置き換わって人の声を代弁する領域にいくのだろう。
そういわれれば、ピアノって電気を使わない電子楽器風機械式時計のようなチェンバロより色めき生っぽい鋳造物のフレ-ムに沿ったフォルムのアンドロイドだね。

演者のソプラノの人が舞台でMCしてたけど、人の声を追っかけた楽器の性能の向上により、細かい旋律の表現、リズムなどを刻めるようになり、難しいステップを踏むような技巧を今度は声楽のほうが追従することになり、より大きな声で、高く、早く、遠くへ拡声装置なしで歌えるようななったのだってさ。次曲で彼女がやってみせると大きな拍手、彼女の贔屓の観客のひとりが高ぶりブラボ-!

もういちど、楽器はどろろ、と呟いて、僕は室内で小さな音の楽器で余り遠くへ飛ばない声でなんか歌ってみたいなと演奏を聴きながら思ったのでした。

追記

コンサートの最後にアンコールでチェンバロとソプラノで1曲歌ってくれたのだけども、それは観客の知ってる歌をと配慮されたのかAmazing graceでした。

アンサンブルでは現代バイオリン族の音量にかき消されていたチェンバロですが、ソプラノの伴奏では独奏で人の歌とマッチして鳴っていました。特に曲の間奏ではジャズぽいコード進行がありモダンな感じがしました。リュートバロックギターで日本のポップスなんか歌うのもきっとよいかなとも思いました。
じゃここで二択、夕暮れ迫る安土城の窓際で歌ってみたいのは、
1)中世:ポルトガル語の歌
2)私のフランソワーズ
さぁ、どっち。
僕は私のフランソワーズなんだけど。

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一年後ぐらいの追記
古楽の楽器に興味が沸き、調べたり聴きにいったりしてみた。
そこで判った事は、プロトタイプの楽器(試作品、発展途上の楽器)と思っていた物らはひょっとして進化の過程ではなくて、単なるモデルチェンジの節々の**年製の完成されたのモデルではなかったのかということです。

室内で演奏されたものが、大きな部屋、多くの聴衆、ホ-ルなどと大きな音を出すことの要求に、無理をしてフォルムを変え、表現の微妙なニュアンスを司る部分を捨てて応える工面があったのではないかということです。

これは歌にも言えて、室内で数人のために歌う発声と、ホ-ルでノンマイクで歌う発声は違って、感情を高揚させる、奮い立たせる、絶唱とかはいいですけど、「今夜はちょっといいかんじね、海がきれいね」みたいな感情、感慨を表すには不向きではないかと思いますね。

ということで、古いタイプの楽器について、不完全な物という捉えかたはやめて、ひょっとして頂点を極めたものであったのかも、という見方に遅ればせながら改めます。

ガット弦、ナイロン弦、鉄線弦、ピックアップ、弾き方も、指頭で、爪で、柔らかめのピックで、やあロックンロ-ル金属爪ピックでとブルーグラス、変遷がないと新たなジャンルも生まれないのですが、音の問題はマイクPAで解決できるので、僕達は失った物を探しに行ってもいいな。

音を変えてしまうPAは好きじゃないけど、2m先で歌っている、鳴っている音楽が、臨場感そのままで遠くで多くの観衆に聞かせられるなら、失われた古楽器、あまり跳ばないやさしい声、作っちゃってください、モノトーンでも歌ってくださいとか思うのでした。