原始鱈魚(げんし たらうお)のブログ

Bossa Nova・Samba MPB をギターで伴奏して一人で歌いたい人のブログです。

Dindi 身を焦がすような歌

僕の行っているボサノバの歌教室で今度この歌を習う事になった。生徒さんのリクエストの曲だ。こんな曲すきなのね。
この曲について知っていることは、バラード、やあ、ジンジと語りかける曲ぐらいしか判らない、ごめんなさい。
それでモデルとなったシルビア・テリスさん(Sylvia Telles)が50-60年代にリリースしたレコードからのリマスター、当時を反映したハリウッドのミュージカルみたいな背景に舞台装置が目に見えるような演出の音源を聞いた。
彼女について書かれた事を読んで曲の事情が解った、彼女のスナップなど写真で見てもずいぶん魅力的な方だ。歌が巧くて機転が利いて快活で予期せぬ行動を取ったりするけどそれが新鮮だったりして、僕たち男は振り廻されて、それでいて喋らない時は美人なのだろう(個人的な妄想です)。
調べてゆけば、白黒だったポートレイトがだんだん音源と供に僕の中で天然色に変わり輝くようになり、当時の人気がわかる。
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one note sambaの歌い方などカテリーナ・ヴァレンテさん(Caterina Valente、ギターも上手い同世代生まれのエンタティナー大姉御(おおあねご)に似てるね。
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当時の歌姫は歌い方が、方向として似るのかもしれない。
作詞のオリベイラさん(Aloysio de Oliveira)も作曲のジョビンも彼女がとっても好きったんだろうということを理解できた。ジョビンってこんなに彼女のための歌に入れ込むんだ(いつもかもしれないけど)。若い人の身の焦がし方みたいな作曲だね。
Dindi の音源を作ってみた。ジョビンのHPのピアノ伴奏付きの譜から音源を作ったのだが、気が付いたことがあった。
アレンジはPaulo Jobim、ジョビンの息子さんなのだが、彼のアレンジなのか、ジョビン本人の志向なのか、ピアノ伴奏譜を見ていて気が付いたのは、歌の旋律と同じユニゾンでピアノが歌うのである。
もともと、ボサノバの曲って、誰かが歌いだすと、歌ってもかまわない時ユニゾンでお仲間が合わせだすのだけれども、コーラスを付けるよりそっちを選びますよね僕たち。
それはそうなんだけど、ジョビンのHPのピアノ伴奏付き譜面って歌の旋律を再度書くけど、ユニゾンで弾くのだ。
ジョビンのこの曲の重ね方、この伴奏の寄り添い方を聞くと、ぴっしり身を寄せて階段を下りるとか、頬よせて、タイミングを計って歌いださないとずれるであろうと思った。
でも実際、この伴奏で最初化から最後まで歌えるのだろうか?タイミングはずれないのだろうか?と思った時、この楽譜の意味が判った。
ジョビンのHPのピアノ伴奏付きの旋律をトレースするタイプの楽譜って、これはジョビンもしくは彼の思いを継ぐ方が、ピアノを弾きながら、この歌の主人公ジンジを慕い記憶を確かめながら(映画みたいに)幾つものシーンをなぞるような、それを自ら歌うための楽譜ではないのかしらん?でないと、この密着感、はないとおもうな。
普段は歌詞を書いて「あーだ、こーだ」言ってから音源をつくるのだが、勢いで完成してしまったので揚げておこう。
今のところの漠然としたプランは、情熱的な歌詞と旋律をあっさりと歌う。というものなんだけどノープランと言われてもしょうがないけど。先はながいのだ。 やあ、ジンジ。
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