原始鱈魚(げんし たらうお)のブログ

Bossa Nova・Samba MPB をギターで伴奏して一人で歌いたい人のブログです。

Dragon Night SEKAI NO OWARI

SEKAI NO OWARIDragon Nightを数年前の年末の紅白歌合戦で見た。
その年この歌の演奏を何度もみたことになる。それでメロディを憶えてしまった。

プリント楽譜だかで楽譜を買って、ウクレレで歌うことにした。
う-んと歌える。家の前を下校する小学生だって歌えるさ。

なんかカントリ-というかアイリュッ、ケルト音楽の臭いがするな、上質のアイリッシュは経験的に螺旋を描く、螺旋を描いて昇華して最後は、Purfumeのポリリズムのエンドロ-ルみたいになる状態を僕は享受するけど、何を言っているか判らないと思うので、聞き逃してくれよん。

ということで、
一人で歌ってみるのだが、どうも、歌うところの歌詞が嘘くさい。現実味がない。歌ってて気持ちがこもらない。
とくに、
ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう
ムーンライト、スターリースカイ、ファイアーバード
今宵、僕たちは友達のように踊るんだ」 が現実味がない。


これをどうにかしようと考えた。よし、こういう時は歌詞読みだろう。    ...読んでみると判ったのは、この歌の主人公は、ドラゴンナイトと呼ばれる100万年に一度くる夜(ということはいつもは日が落ちず白夜状態を含めた昼である)を前に経験している。

何回も経験しているとすれば、彼は少なくもと数百万歳であり、彼の部族(種族?)と敵対する僕(主人公)の嫌いな彼の部族(種族?)も手ごわくなかなか滅しない(死なないのか、若手に世代交代するのか不明)。

戦う部族同士で同世界、同時代を生きるもの、としてのシンパシ-がある。

ここまで来てやっと僕には判ったのだが、歌の主人公は直前の100万年前のドラゴンナイトと呼ばれる夜を鮮明に覚えてていて、この歌はその日の昼間に歌われる歌なのだ。

繰り返します。主人公の脳裏、まぶたには、直前の100万年前の夜空の事を記憶として鮮明に覚えている。

1)夜空に映えるムーンライト  月の明かりというか、太陽の光を受けて月が輝く。SFファンは言う、月は何個なのかしらん。

2)スターリースカイ        満天の空に輝く星たち と 想像すればよいか?

3)ファイア-バード        火の鳥と考えればよかろうと思う。割と安直な登場よね、スピンオフがあるのかな。チ-プな世界観だけども、SFの世界ではチ-プは非難する意味をしばしば持たなく、重厚という言葉も全面的な賞賛ではないけど、ごめん話が逸れた、火の鳥の話に戻って主人公の見ている正面の風景を北ととると、西の空から(だいたい)東に向かって光跡を曳いて火の鳥がゆっくりと飛んでゆくのさ。

この光景を肩を組み、僕の嫌いな彼の部族(種族?)と酒を酌み交わし踊りながら見ているのさ。これを表現しなくっちゃいけない。

ということで歌を歌う時にどうすれば良いか考えた時に思いついたのだが、鮮明に覚えているだろう、星空を、月を火の鳥の光跡を、じゃそれを歌うときに視線で追ってみればどうだろ?

と、歌ってみた。 少し歌詞の嘘くささが消えたように思う。

やった、僕はちょっと進化した。新しい境地に立った。と数日幸せを感じた。
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ある日、テレビを見ていたら、演歌の女性歌手が唄っていた。
はじめはなんとなく見ていたのだが、気がついたのだが、彼女は歌いながら、遠くを凝視し、腕を伸ばして見えない何かを掴もうとし、引き寄せようとしているではないか。で、僕には判った。演歌を含め、歌手の人は何十年も前から曲のリアリティを増すために、目で見えないものを追い、その視線を観客に追わせ、(小野リサさんもするのよ、僕は追いました)掴めない何かを掴み観客といおうか一体となって感情を揺さぶり高揚させてきたのさ。

僕の達した孤高の境地と思ったのは、単なる原っぱ、公園の見晴らしのよい丘であった。

しょうがない、僕は、大部屋の時代劇の役者の顔つきになって「抜け駆けはなかなかできないね」と呟くのだった。

う-んと、歌詞の嘘くささが消えたように思うドラゴンナイトを披露したいけど、ボサノバ、サンバを一曲完成させてからだな、とこのブログの作り手の僕は思うのでした。